こんにちは。
徳島県阿南市にある青木整骨院 院長の青木です。
このブログでは、6回に分けて
僕の自己紹介をさせていただきます。
僕は中学時代から肩の不調に悩まされてきましたが、
整骨院の先生との出会いで劇的に快復しました。
そんな僕の体験がどなたかのお役にたてたらいいなと思います。
野球との出会いは小学校3年生の時
僕は徳島県那賀郡鷲敷町で生まれ育ちました。
兄弟は3人。双子の弟、5歳下の妹、両親、祖母の6人家族で育ちました。
野球との出会いは小学校3年生の時です。
キャプテン翼に憧れていたので、最初は「小学校にサッカークラブを創設したい!」と思っていました。
でもこれは実現できなかったので、
仕方なく双子の弟が先に入部していた野球部に入りました。
忘れられない体験
でもここで、僕は忘れられない体験をしてしまいます。
すでに同じ学年の子が10人くらい入部していたなか、
あとから入った3年生の僕が、
5年生に混じって最初に試合に出させてもらったのです。
守備はレフト。
ものすごく嬉しくて、その日からますます野球に夢中になる毎日が始まりました。
野球漬けの日々・・・そして肩の故障
月曜火曜以外はすべて練習。
中学も当然野球部へ。ボジションはピッチャー。
ただ、中学3年生に進学する少し前に肩を痛めてしまい、
ピッチャーができなくなってしまいました。それでポジションはセンターになりました。
当時の肩の痛みは、重だるい感覚。
肩がずっと重くてだるく、力が入らないような、そんな状態が続いていました。
それでも、プロ野球選手になる夢があり、高校入る前には、弟とキャッチボールして硬式のボールに慣れようとしていました。
中学まで使っていた軟式のボールは軽いので、肩を慣らすために硬式のボールを使ってみたのです。
腕と、肩が、バラバラに離れてしまった感覚に
あるとき、1球思いっきり投げてみたら、なんだか肩が飛んで行った感じがしました。
肩が抜けた感じ。腕と、肩が、バラバラに離れてしまった感覚です。
そこからまったく投げられなくなりました。
有名な整骨院をはじめ病院もいろいろ行ったけれど
「肩がずれている」「筋がずれている」「投げ方が悪い」「筋肉が張っている」「関節がずれている」・・・
そう言われるだけで、きっちり治ることはありませんでした。
病院から泣きながら帰った
大学病院で診てもらい
関節唇損傷(脱臼のようなもの)という診断を受けました。
そして、「野球は諦めなさい」と言われ、僕はその大学病院から泣きながら帰りました。
その日のことは、今でも覚えています。
手術は成功したのに、痛みが残った
大学病院の先生から、ある病院を紹介してもらい、「手術をしなさい」と言われました。
ただ、手術は成功したにもかかわらず、
肩は相変わらずすごく痛かった。そしてそれは、ずっと治りませんでした。